ロッカールームの会話
私が幽霊を見るようになったのは、会社のロッカールームで聞いたある会話が発端です。
私の勤務先であるT商事では、多様性が叫ばれるこの時代に女子社員の制服着用が義務付けられており、社内には女性専用のロッカールームが設置されています。
あの日も仕事を終え、私服に着替えていると、ロッカーを挟んだ隣の列からこんな会話が聞こえてきました。
「S課長、先週末に奥さんと結婚記念の旅行に行ってきたんだって!」
「いいなー、S課長って結婚して10年くらい?お子さんいないのに、仲が良いのね」
「あー、なんか奥さんが精神的な病気らしいよ。子供作る余裕ないんでしょ」
羨望と蔑みを交え、楽しそうに話す彼女たち。
一方、私は耐え難い怒りに体を震わせました。
「S課長、この前の休日は体調が悪いから会えないって言っていたのに……!」
心の中に燃え盛る嫉妬の炎。そうです、私とS課長は不倫をしています。
愛と怒り
始めに言い寄ってきたのは、S課長の方でした。
「妻は病気をしてから、別人のようになってしまった。愛想もないし、家事もしてくれない……」
「僕はいつもコンビニ弁当を買って帰るんだ」と寂しそうに話す彼を支えてあげたい、若かった私はそう思ってしまったのです。
あれから5年の月日が流れ、私は30歳になりました。
「妻とは冷め切っている」口ではそういうものの、なかなか離婚してくれないS課長。
病気のこともあり奥さんは無職だそうで、別れるのも大変なんだろう……と焦る気持ちを無理やり納得させていた私にとって、先ほどの会話はあまりに衝撃的でした。
「私に噓までついて旅行に行くなんて、ちっとも別れるつもりはないじゃない!」怒りに任せて、ロッカーを閉めた私。
「お疲れ様です!!」
これから向かう先はひとつ。
S夫妻が仲良く暮らすマンションです。
不倫の結末
“ピンポーン”
インターフォンを鳴らすと、女性のか細い声が聞こえました。
「いつもS課長にお世話になっているT商事の○○と申します。奥様にお伝えしたいことがございまして……」
突然の訪問に戸惑いながらも、奥さんは扉を開けてくれました。
まだ帰宅していなかったS課長を呼びつけ、ここからは想像通りの修羅場です。
「なんか、ドラマみたいだな」とどこか俯瞰していた私が我に返ったのは、奥さんが包丁を持ち出した時でした。
スローモーションのように流れる時間の中で、S課長が私をかばって血を流しながら倒れました。
泣き喚く奥さんは、自身の首に包丁を突き立てます。
私は、必死で玄関の外に逃げて、警察を呼びました。
……あれからというものの、私の目にはS課長の亡霊が映るようになったのです。
恨まれているのかもしれませんが、決して怖くはありませんよ。
S課長は、奥さんと天に昇るのではなく、私と共にこの世に残ることを選んでくれたのですから。
※この物語はフィクションです。
※記事に使用している画像はイメージです。

◆底渦
中学生で都市伝説にドハマりし、2chホラーと共に青春を駆け抜けたネット廃人系オカルトライター。
怖い話の収集・考察が趣味です。
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