ずぶ濡れの女性
その日は、朝から激しい雨が降っていました。
駅のホームで電車を待っていると、少し離れたところにずぶ濡れの女性が立っている姿。
ホームには屋根がついていますが、駅に来るまでの間に濡れてしまったのでしょうか。
しかし、今日は朝から大雨が降っていて、それは夜遅くまで続く予報でした。
家を出る前に傘を忘れることは考えにくいですが、きっとなにか理由があるのでしょう。
女性は、バケツの水を被ったかのようにずぶ濡れ。
長い髪からは水が滴り、酷く寒々しく見える姿でしたが、ホームにいる人たちが女性に声をかけることはありません。
私も女性のことが気がかりではありましたが、その姿を横目で見ることしかできませんでした。
流れ込む感情
そのまましばらく待っていると、遠くから電車が見えてきました。
乗降口の前に並ぶ人たちが、一様に電車の到着を待っています。その時……
「えっ……!?」
先ほどのずぶ濡れの女性が、突然線路へと飛び降りたのです。
「ちょっ、ちょっと……!」
電車はもう近くまで迫ってきていました。私は女性に向かって大きな声で呼びかけ、線路の近くまで駆け寄ります。
すると女性はこちらを見て寂しそうに微笑み、涙を流したのです。
その瞬間、私の中に感じたことのないたくさんの感情が流れ込んできました。悲しく、苦しく……、どうしようもない気持ちだったのです。
私はわけもわからないまま、無我夢中で女性へと手を伸ばしました。
しかし、女性が私の手を取ることはありません。
私は、なぜかどうしてもこの女性に生きてほしかった。
気付けば目からは大粒の涙が流れ、女性のいるホームの向こうへと飛び降りようと身を乗り出しました。
そのとき……
「おい!なにしてるんだ、アンタ!」
数人がかりの力で私はホームへ引き戻され、すぐ目の前を電車が通過していきました。
あの日の女性
どうやら、ずぶ濡れの女性は私にしか見えていなかったようなのです。
突然線路に向かって大声を上げた私に周囲は驚き、身を投げ出そうとしたところを取り押さえたのだと。
冷静になった頭で事態を飲み込んだ私は、自分が起こそうとした行動を振り返り、恐ろしくなりました。
これは私の勝手な推測ですが、のちにある出来事を思い出しました。
数か月前、やたらと混雑する駅の構内。どうやら電車が遅延し、それが帰宅ラッシュに重なってしまったようなのです。
遅延の理由は、“飛び込み”による人身事故。
しかし、周囲の人たちは口々に「迷惑だ」「早くしてくれ」などと文句を口にし、人が命を絶ったことなど気にも留めない様子。
それもまた、大雨が降った日でした。
あの女性は、あのとき、電車に飛び込んだ女性だったのではないでしょうか。
最後に微笑みを浮かべて涙した彼女が、どうか安らかに眠れることを願ってやみません。
※この物語はフィクションです。
※記事に使用している画像はイメージです。
◆松木あや
ホラーやオカルトが好き。在住する東北の地で、ひんやりとした怖い話を収集しています。
恐怖体験の「おすそわけ」を楽しんでもらえると嬉しいです。
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