エレベーター前の男
出張先の営業所で事務処理に追われて忙しくしていると、いつのまにか時計が夜10時を回っていることに気が付きました。
「一旦、休憩するか……」
普段は別の営業所で勤務しているので、この営業所に来るのは年に数回程度。
ビルの喫煙所は1階にしかないことを思い出し、7階から1階へ降りるためにエレベーターホールへと向かいました。
エレベーターの前には、先に一人の男性が立っています。自分と同じ、20代くらいでしょうか。
しかし、なぜか上りのボタンも下りのボタンも押されていないのです。
「押し忘れか?」なんて思いながらも下りのボタンを押すと、間も無くエレベーターが到着。
私はエレベーターに乗り込みましたが、その男性はなかなか乗ってきません。
「あのぅ……」
私は声をかけようかと思いましたが、「いや、もしかして上に行きたかったのかな?」と自己解決して“閉”ボタンを押し、1階を目指しました。
不思議な行動
喫煙所に到着し、煙草を吸いながらスマホゲームに没頭していると、10分ほど経過したでしょうか。
何本目かの煙草を消し、そろそろ戻るかとエレベーターホールへと向かいます。
エレベーターの位置を示す数字は“1階”を点灯していました。
こんな時間なこともあり、10分前に自分が降りたきり、そのままそこに止まっていたのでしょう。
しかし、上りのボタンを押し、扉が開くと……
「えっ」
そこには、先ほどの男性が乗っていました。
「この人、なんなんだ……?」
意味のわからない行動ばかりする男性に、ますます不信感が湧きました。
階段に切り替えようかとも考えましたが、目的地は7階。登り切るには、相当な体力を要するでしょう。
「まあ自分は男だし、密室で変なことをされることもないだろう」と仕方なく同乗し、営業所を目指すことに。
男性は相変わらず、じっとその場に留まっているだけで、7階についても降りる気配はありませんでした。
話しかけるな
その後、仕事を終え帰宅するために再びエレベーターを訪れると、またあの男性が立っているのです。
さすがに気味が悪く、その日は階段で下ることに。
翌日、2年前からこの営業所で勤務する先輩に、昨日の出来事を話しました。
「ああ、おまえも見えたんだな」
今まで私が見えていないようだったので、先輩は怖がらせないために言っていなかったそう。
先輩自身も夜遅くに残っているときは毎回見かけるのだと言います。
「別に、無視してればなんにも起きないよ。……ただ、絶対話しかけるなよ?」
「え、話しかけるとどうなるんですか……?」
このビルでは過去に何度か、深夜に勤務中の人間がエレベーターの前で倒れていることがあったのだそう。
倒れていた者は皆、同乗した男性のことを怯えながら話すのですが、監視カメラにはその男性の姿は見当たりません。
そして聞くと全員が、気遣いの気持ちから男性に話しかけていたと言います。
「俺は冷たい人間だから一度も話しかけたことないんだけどさ。おまえ気をつけろよ。“何階ですか?”とか“乗りますか?”とか、間違っても聞くなよ」
あのとき、男性に話しかけていたら、私の身にも恐ろしいことが起こっていたのでしょうか。
今でもたまにあの営業所を訪れますが、あれ以来、男性の姿は見ていません。
※この物語はフィクションです。
※記事に使用している画像はイメージです。
◆松木あや
ホラーやオカルトが好き。在住する東北の地で、ひんやりとした怖い話を収集しています。
恐怖体験の「おすそわけ」を楽しんでもらえると嬉しいです。
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