車椅子のお客様
私は駅員をしています。
その日は遅番で帰宅ラッシュはまあ混んだけど、困った酔っ払いもいなくて比較的平和でした。
終電後の忘れ物の確認なんかもスムーズに終わって、もう帰るかという時でした。
インターホンが鳴ったんです。
「あの、地上へ出たいんですが」
取ると地下のホームからで、車椅子の介助依頼でした。
連絡漏れかとひやひやしましたがお客様もお怒りではなかったようなので、ひとまずホームに降ります。
「すみません、お待たせしました」
お客様は私を認めると、ほっとしたように会釈をしてくださいました。
車椅子を押してエレベーターまで案内し、地上階のボタンを押します。
普通なら一緒に改札まで行くんですが、なぜかお客様が「ここまでで」と言うんです。
「本当に、もう大丈夫です。ありがとうございました」
頼るのが苦手でいらっしゃるのかもしれない。
彼一人を乗せたエレベーターの扉が閉まるのを見届けて、せっかくなので地下階を巡回して戻ることにしました。
降りてこない
数分後、地上階へ戻った私は改札で待機していた同僚に確認しました。
「車椅子の人、来た?」
「……来てないけど?」
「えっ?」
終電後の駅は人通りも少なく、車椅子はすぐ目に入るはず。
気になって防犯カメラを確認しました。
地下の録画映像には、私がお客様をエレベーターへ案内する様子が映っています。
男性が一人で乗り込み、扉が閉まる。
ところが、数分待っても、地上階のカメラには誰も降りてくる様子が映っていませんでした。
設備会社にも確認しましたが、運転記録は正常です。
途中停止も、扉の開閉もありません。
地下から一階へ、問題なく運転した記録だけが残っていました。
「……ここ、どこですか」
翌日も夜勤だった私は同じく、終電後に駅員室で待機していました。
そのとき、胸元の無線機から突然ザーッという雑音が流れ始めたんです。
駅構内ではたまに電波が乱れることがあるので、最初は気にしていませんでした。
「……すみません」
でも、雑音の向こうから誰かの声が聞こえたんです。
「どちらですか?」
呼びかけましたが返事はありません。
ザーッというノイズだけが続きます。
通信が切れかけた、その最後でした。
「……ここ、どこですか」
聞き覚えがある、男性の声でした。
昨夜エレベーターまで案内した、あのお客様の声だったんです。
慌ててカメラを確認しましたが、誰もいません。
それ以来、地下からエレベーターを案内するときは、絶対にお客様と一緒に乗り込むようにしています。
※この物語はフィクションです。
※この記事に使用している画像はイメージです。

◆味醂
子どもの頃から怖い話が好きで、ホラー小説やネット怪談など、文章作品を中心に親しんできました。
映像作品の痛そうな表現や急に驚かせる演出は少し苦手ですが、想像がふくらむ怖さや、日常の違和感が少しずつ不穏さを増していくような話に惹かれます。
読んだあとふとした瞬間に思い出してしまうような“あとから効いてくる怖さ”を大切にしています。
【SNS】
X:@a_mirin0223
※表示価格は記事執筆時点の価格です。現在の価格については各サイトでご確認ください。

