地下通路
通勤で利用している駅に、地上の出口まで続く長い地下通路があります。
朝夕はそれなりに人通りがありますが、少し時間がずれると、驚くほど静かになる場所です。
ある日、その通路で白杖を持った男性を見かけました。
年齢は50代くらいでしょうか。
ゆっくりと歩きながら、杖で足元を確かめています。
そういうときって、声をかけるわけではないんですけど、少し歩くスピードを落として見守ったりするじゃないですか。
そのときも、同じようにしていました。
すると、その男性が壁の前で立ち止まったんです。
点字ブロックも途切れていて、明らかに困っている様子でした。
嘘
私が声をかけると、男性は少し驚いた様子でこちらを向きました。
「ああ、すみません。さっきの方に、ここから階段を上がれば地上に出られると教えていただいたんですが……」
思わず目の前の壁に視線を向けました。
階段なんてありません。
「出口でしたらもう少し先ですよ」
そう伝えると、男性は不思議そうに首をかしげました。
「そうなんですか。おかしいな。すぐそこだって言われたんですけどね」
私は男性を地上へ続く階段まで案内しました。
男性は何度もお礼を言って、階段を上っていきました。
誰かがわざと間違った道を教えたのかな。
意地悪な人がいるんだなあ。
そのときはそう思ったんです。
「こちらですよ」
それから一週間ほど経った日のことです。
残業で遅くなり、私はいつもの地下通路を一人で歩いていました。
地上出口が見えてきたとき、後ろから声をかけられたんです。
「階段、こちらですよ。お気をつけて」
驚いて振り返りましたが、誰もいません。
落ち着こうとして足元に目を落としたとき、私は妙なことに気づきました。
床の点字ブロックが、途中で右に曲がっていたんです。
いつもは階段の手前まで続いているはずなのに、黄色いブロックはあの壁に向かってまっすぐ伸びていました。
私は怖くなって、顔を上げました。
すると、今度は少し離れたところから声が聞こえました。
「大丈夫ですよ。あと少しですから」
そこには、ただの壁があるだけです。
私は点字ブロックを避けるようにして、その場から逃げ出しました。
翌朝、恐る恐る同じ場所を通ってみると、点字ブロックはいつもどおり、階段まで続いていました。あの声の正体が何だったのか、そして私をどこに案内しようとしていたのか、今でもわかりません。
※この物語はフィクションです。
※この記事に使用している画像はイメージです。

◆味醂
子どもの頃から怖い話が好きで、ホラー小説やネット怪談など、文章作品を中心に親しんできました。
映像作品の痛そうな表現や急に驚かせる演出は少し苦手ですが、想像がふくらむ怖さや、日常の違和感が少しずつ不穏さを増していくような話に惹かれます。
読んだあとふとした瞬間に思い出してしまうような“あとから効いてくる怖さ”を大切にしています。
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