社員の退勤後に
深夜の清掃の仕事に入ると、まず確認するのが各フロアのトイレだ。
忘れ物のチェック、汚れ具合の確認。
社員はすでに退勤しているはずなのに、二階の男子トイレの奥の個室には、いつも鍵がかかっていた。
ドアの隙間からは革靴のつま先が見えている。
動きもせず、まるで置物のように沈黙している。その不自然さが、余計に不気味だった。
残業していた誰かがこもっているのかと思い、仕方なく他の場所を掃除して戻ってくると、
その靴は跡形もなく消えていた。
最初は見間違いかと思った。
だがそれは一度ではなく、毎晩のように繰り返された。
待つ声
ある晩、他の清掃を終えても、その男は消えていなかった。
いつまで経っても終わらないのでは困ってしまう。
ついに勇気を出して声をかけた。
「清掃に入りますが、大丈夫ですか?」
すると、少し間を置いてくぐもった声が返ってきた。
「昼休みが終わるのを待ってんだよ」
思わず息をのんだ。
もう深夜だ。
時計を見ても間違いない。
「もう深夜ですよ」
そう告げても返ってきたのは同じ言葉だった。
「昼休みが終わるのを待ってんだよ」
繰り返されるその声に背筋が冷え、結局その個室だけを避けて一階へ戻った。
社内の噂
警備員に報告すると「この時間に残ってる社員なんかいないよ」と笑い飛ばされた。
だがすぐに小声で続ける。
「昔さ、二階のあの奥の個室でね…いじめに耐えられなかった社員が自分で命を絶ったんだ。昼休みの時間に」
笑いながら語るその口ぶりに、逆に背筋が冷たくなる。
靴先を思い出し、あの言葉が頭の中で繰り返された──「昼休みが終わるのを待ってんだよ」。
それ以来、もうそのトイレに入る勇気はない。
もしドアの隙間に靴が見えても、二度と確かめようとは思わなかった。
きっとほかの清掃員もそうしているのだろう、その個室は、他より汚れたままだ。
※この物語はフィクションです。
※記事に使用している画像はイメージです。

◆斎 透(さい とおる)
noteにて短編小説を執筆中の、犬と暮らすアラサー女子です。
やるせない夜にそっと寄り添うような文章をお届けしています。
幼い頃から、オカルト好きな母と叔母の影響で、不思議な話に夢中に。
「誰でも一つは、背中がひんやりする話を持っている」をモットーに、
ゾッとするけど、どこか温度のある物語を綴っています。
美容やキラキラした話題に疲れた夜、よければ一編、覗いてみてくださいね。
●note:https://note.com/sai_to_ru
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