病室の祖父
祖父が亡くなる前、長期入院していた頃の話です。
祖父はあまりおしゃべりな人ではありませんでしたが、穏やかで、みんなから好かれていました。
緩和ケア病棟に移ってからはさらに口数が減ってしまいましたが、穏やかさは変わりません。
お見舞いに行くといつも黙って微笑んでいました。
もうその頃は、眠っている時間のほうが長かったかもしれません。
その日も、病室に入った時にはもう祖父は眠っていました。
大部屋の窓際のベッドで、隣のベッドはカーテンが閉まっています。
私は持ってきたゼリーや着替えを棚に入れながら、しばらく祖父の寝顔を見ていました。
隣のベッド
母に「おじいちゃん寝てるよ」と連絡を入れようとした時です。
閉まったカーテンの向こう、隣のベッドから、話し声が聞こえました。
最初は隣の患者さんかと思いました。
でも、すぐに、あれ?と違和感を覚えたのです。
祖父の声でした。
少しかすれ声で、語尾が濁る話し方まで祖父そのもの。
なのに、話している内容が絶対に彼が言わないことばかりなのです。
伯母のことを「顔は出すくせに、面倒なことは人任せだ」と言い、叔父のことを「金の話になる時だけ早か」と笑う。
目の前で眠っている祖父が、閉まったカーテンの向こうで親族の悪口を言っているんです。
「ユミじゃって、気が強うて人の言うことなんか聞かん。ハズレの嫁や」
ユミというのは母の名前です。
入院する前、自宅介護のために仕事を辞めた母に祖父は毎日頭を下げていました。こんなこと言うはずありません。
「あれの子どももいかん。大学まで出させてやったんに、ふらふらして」
……私のことでした。
たしかに当時、新卒で入った会社に馴染めなくて休職中でした。
でも、それだって「あんたが無理しないで済むのが一番」と言ってくれていたのに……。
祖父の本心
耐えきれず、私は隣のカーテンを開けます。
ベッドは空でした。
まるで最初から誰もいなかったみたいに整っています。
……今日は、もう帰ろう。
母に「おじいちゃん寝てるから、帰るね」とメッセージを送り直して、荷物をまとめます。
空になったエコバックをリュックに突っ込み、顔をあげてドキッとしました。
さっきまで眠っていた祖父が、いつの間にか目を開けて、じっとこちらを見ていました。
あの声はなんだったんでしょう。
祖父は本心では私たちのことを嫌っていたんでしょうか。
祖父が亡くなってからも、誰にも言えないでいます。
※この物語はフィクションです。
※この記事に使用している画像はイメージです。

◆味醂
子どもの頃から怖い話が好きで、ホラー小説やネット怪談など、文章作品を中心に親しんできました。
映像作品の痛そうな表現や急に驚かせる演出は少し苦手ですが、想像がふくらむ怖さや、日常の違和感が少しずつ不穏さを増していくような話に惹かれます。
読んだあとふとした瞬間に思い出してしまうような“あとから効いてくる怖さ”を大切にしています。
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