足音
ずっと実家暮らしだったので、一人暮らしの部屋の静かさに、最初はなかなか慣れませんでした。
生活音が少ないぶん、エアコンの音とか、外を車が通る音とか、そういう小さな音まで変に気になるんです。
引っ越してまだ二日目くらいの夜のこと。
家具らしい家具もまだなくて、床に置いた段ボールの隣に布団を敷いて寝ていました。
夜中、誰かが部屋の奥を歩く音でうっすら目が覚めたんです。
フローリングの床を「ぺた、ぺた」とゆっくり歩く音。
お風呂から上がったお母さんが、こたつで寝てる私の頭上を通ってキッチンに移動する時の音を思い出しました。
翌日目を覚まして、おかしいなって気づいたんですよね。
この部屋、ワンルームだし、布団敷いたら枕元に歩き回るスペースなんてないんですよ。
1回だけなら、実家にいた頃の感覚がまだ抜けていないんだなって思っただけでした。
でも、それからもたびたび足音が聞こえるんです。
「ぺた、ぺた」って窓際から歩いてきて、枕元を通り過ぎて壁の中に消えていく、足音。
布団を壁に寄せて敷いても同じでした。
私が寝てる間だけ部屋の間取りが変わってるとしか思えません。
気味は悪かったですけど、足音が聞こえるだけで、姿も見えなければ怖い目にあうこともない。
だから、放っておいたんです。
見えない間取り
新生活にも、足音にも慣れてきたころ、お隣さんが引っ越したみたいでした。
挨拶とかはなかったですけど、引越し屋のトラック止まってたのと、荷物運んでるとこ見たので。
その時にピンとくるべきだったのかもしれません。
その頃には私はもう、諦めて部屋の真ん中に布団を敷いて寝ていました。
夜、眠っていると、また足音に起こされたんです。
枕元から壁の向こうへ遠ざかっていく足音。
……いつもだったら、それで終わりです。
その日は足音が引き返してきたんです。
たぶん、壁の向こうに誰もいなくなったから。
引越しの理由
「ぺた、ぺた」足音が枕元に戻ってきて、そのまま私の頭の上で止まりました。
だれかに寝顔を覗き込まれている気配にぎゅっと目を瞑ります。
「……今日はこっちの部屋で寝るの?」
女性の声でした。
ぞわ、と耳の後ろが粟立って、反応してはよくないと思うのに、小さく息を飲んでしまいます。
そのまま気を失うように眠ってしまったようでした。
翌朝、枕元に鍵が落ちていました。キャラクターのキーホルダーがついた銀色の鍵。
それが、ペンチでも使わないとこうはならないだろうという形に、ぐにゃりと曲がっていました。
隣の部屋の人は、引っ越したんじゃなくて、これから逃げたんだとその時やっと気づきました。
※この物語はフィクションです。
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◆味醂
子どもの頃から怖い話が好きで、ホラー小説やネット怪談など、文章作品を中心に親しんできました。
映像作品の痛そうな表現や急に驚かせる演出は少し苦手ですが、想像がふくらむ怖さや、日常の違和感が少しずつ不穏さを増していくような話に惹かれます。
読んだあとふとした瞬間に思い出してしまうような“あとから効いてくる怖さ”を大切にしています。
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