空いた車両
平日の午後、用事を済ませて地元へ戻る途中でした。
都心ほど混まない路線で、時間帯のせいか車内もかなり空いていて、私が乗った車両には他に数人がぽつぽつと座っているだけでした。
駅をいくつか過ぎるうちに、その人たちも少しずつ降りていって、気づけば車両には私しか残っていません。
窓から入る日差しが明るくて、眠くなるようなのどかな時間でした。
私はドアの横の席に座って、ぼんやり吊り広告を眺めたり、流れていく外の景色を見たりしていたんです。
降りる駅が近づいてきて、いつも通り車内放送が流れます。
「次は――」
そこまで聞こえたところで、ぶつっと音が途切れました。
あれ、と思って顔を上げたんです。
電車が止まるわけでもなく、放送だけが不自然に途切れた感じでした。
少しの間があって、それから小さな声がしました。
「まだ降りないで」
子どもの声でした。
思わず車内を見回します。
誰もいません。
そのあとは何事もなかったみたいに、通常のアナウンスが続きました。
「――次は、みどりが丘、みどりが丘です」
……私が降りる駅が近づきます。
さっきの声が引っかかりました。
よくわからない子どもの声のせいで予定を変えるなんて馬鹿みたいだと思うのに、どうしても立ち上がる気になれません。
そして、電車は私が降りるはずだった駅へ滑り込みました。
「降りないで」
……普段どおりの景色です。
さっきのはなんだったんだろう。
空耳か、白昼夢ってやつだろうか。
ふと気づきました。
ベンチの近くに、女の人が立っています。
薄いベージュのカーディガンに、紺色のスカート。
黒いトートバッグを提げて、長い髪を1つに結わえている女の人。
私と、まったく同じ格好でした。
その人はホームの真ん中あたりに立ったまま電車を見ています。
乗ってくる気配はありませんでした。
ただ、じっとこちらを見ているだけです。
私は、降りられませんでした。
ドアが閉まります。
電車が動き出す直前、その人がわずかに顔を上げました。
窓ガラス越しに見えた口元が、少しだけ動いた気がしました。
「まだ、だめ」
そう言ったように見えました。
警告?
次の駅で私は電車を降りました。
迎えに来てくれた友だちが、どうしたのかと聞くので、さっきのアナウンスと女の人の話をしました。
「あの駅で、私の降りる時間になんかあった?事故とか」
「ないよ。だって私、駅であんたのこと待ってたんだもん」
じゃあ、あれは何の警告だったんでしょう。
目的の駅で降りていたら、私はどうなっていたんでしょうか。
※この物語はフィクションです。
※この記事に使用している画像はイメージです。

◆味醂
子どもの頃から怖い話が好きで、ホラー小説やネット怪談など、文章作品を中心に親しんできました。
映像作品の痛そうな表現や急に驚かせる演出は少し苦手ですが、想像がふくらむ怖さや、日常の違和感が少しずつ不穏さを増していくような話に惹かれます。
読んだあとふとした瞬間に思い出してしまうような“あとから効いてくる怖さ”を大切にしています。
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