祖父の家
祖父は笑い声がでかくて、野球が好きでした。
俺が野球を始めたのも祖父の影響です。
そんな祖父も歳をとってだんだんボケてきて、俺は俺で部活が忙しくなって、会う機会も減っていきました。
まあでも、ボケても元気だったんですよ。最後も病院じゃなく家の畳の上で亡くなったし。
久しぶりに祖父の家に行ったのは、中学3年の秋。
部活が落ち着いて、遅まきながら受験勉強に本腰を入れ始めたタイミングでした。
暑さも和らいで、庭にはのどかに金木犀が香っています。
ふと振り返ると祖父が縁側で昼寝をしていそうな、懐かしく、居心地のいい空間でした。
だから、祖母に「今日は泊まっていくんでしょ」と言われて、頷いてしまったんです。
そんな予定じゃなかったんですけど。
「ばあちゃん1人だと落ち着かないのよ。ほら、おじいちゃんボケてからもずーっと足腰は元気で、家ん中ぐるぐる歩き回っとったでしょう」
そんなふうだったのか、と。
懐いていたわりに、祖父の病状をなにも知らなかったことになんともいえない気持ちになりました。
部活にかまけてぜんぜん会いに来なかったことを悔やむ俺に、祖母はあっけらかんとして笑ってみせます。
「今でもたまに足音が聞こえるんよ。まだその辺うろうろしてるのかもね」
足音
その夜、俺は一階の客間に布団を敷いてもらいました。
庭の金木犀が夜風に乗って匂ってきて、気分のいい夜です。
自宅よりも勉強に集中できたもんだから、気づけばかなり遅い時間までノートを開いていました。
ふと耳を澄ますと、廊下を誰かが歩く音がしていました。
古い木の床が、きし、きし、と鳴る音。
急いでいる感じではなくて、ゆっくり、迷うような足取りです。
ああ、ほんとだ。
じいちゃん、まだ廊下うろうろしてるんだ。
怖かったですけど、祖母があんなふうに普通に話していたせいか、不思議と心が和むような感じもしました。
足音は廊下を近づいてきて、 部屋の前で止まりました。
「……じいちゃん?」
思わず、襖の向こうにそう声をかけました。
返事を期待したわけではありません。ただの独り言です。
襖の向こう
襖の向こうで、何かが身じろぎした気配がありました。
その瞬間、庭から漂ってくる夜風の匂いが変わりました。
大きな獣の口の前にいるみたいな、湿った息がぬるい風に乗って漂ってきます。
“じいちゃんじゃない”
そのまま動けずにいたら、ふしゅ、と鼻を鳴らすような音のあと、きし、とまた床が鳴りました。
今度はゆっくり、廊下の奥へ遠ざかっていきます。
……狼とか、熊とか、出くわしたことないですけど、そういう大きな獣の鼻先に命を晒した感覚でした。
ふと、嫌な考えが浮かびます。
ボケても足腰は強く、家中を歩き回っていたじいちゃん。
最後は病院じゃなく、自宅で亡くなったじいちゃん。
彼は、ずっと家を歩き回るあの獣から逃げていたのではないか。
亡くなってからもなお、いまだ逃げ続けているのではないか。
※この物語はフィクションです。
※この記事に使用している画像はイメージです。

◆味醂
子どもの頃から怖い話が好きで、ホラー小説やネット怪談など、文章作品を中心に親しんできました。
映像作品の痛そうな表現や急に驚かせる演出は少し苦手ですが、想像がふくらむ怖さや、日常の違和感が少しずつ不穏さを増していくような話に惹かれます。
読んだあとふとした瞬間に思い出してしまうような“あとから効いてくる怖さ”を大切にしています。
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