懐かしい匂い
最初に気付いたのは、味噌汁の匂いでした。
仕事を終えてアパートへ帰った夜、廊下の奥から夕飯のいい匂いが漂ってきたのです。
誰か引っ越してきたのかな。
一瞬そう思いましたが、廊下の一番奥にある部屋は老朽化がひどく、ずっと空室のはず。
ところが翌日は煮物、その次の日には焼き魚の匂いがします。
別の部屋から漂っているのだろうと思いましたが、奥の部屋へ近づくほど匂いは強くなるばかり。
そして数日後、私は妙なことに気付きました。
「これ、母さんが作ってた料理だ」
どれも亡くなった母が、実家でよく作ってくれたものだったのです。
懐かしさから勘違いしているだけだと思いましたが、それからも奥の部屋からは母の料理と同じ匂いが漂ってきました。
呼びかけてきた声の正体
そしてある夜。
「ご飯できたよ」
奥の部屋から、母の声が聞こえました。
聞き間違えるはずがありません。
気付けば私は扉の前に立ち、無意識にドアノブへ手を伸ばしていました。
その瞬間。
「開けちゃだめだ!!!」
背後から鋭い声が飛んできます。
振り返ると、このアパートに長く住んでいるおばあさんが鬼気迫る表情で立っていました。
「あの部屋ね、昔から変なのよ。人によって違うらしいけど、懐かしい料理の匂いがするんだって」
私を扉から引き離すと、おばあさんはそう話してくれました。
扉を開けた後の記憶がなく、翌朝廊下で倒れていた人もいるそうです。
「それ、管理会社には言わないんですか?」
「もちろん何度も言ったわよ。でも、そんなものあるわけないって。年寄りの妄言だと思われてるんでしょうね」
後日、私も管理会社へ確認しました。
しかし、またその話かと言わんばかりの、呆れと苛立ちが混ざっている態度で「老朽化で使っていないだけの空室です」と言われて終わり。
それ以上聞くことはできませんでした。
古い建物だから他の部屋の匂いや声が響いただけなのかもしれない。
そう考えて、なるべく奥の部屋を気にしないことにしました。
目を覚ますと
それから数日間、不思議なことは何も起こりません。
やっぱり気のせいだったのだろう。そう思い始めたある朝のことです。
目を覚ますと、部屋の中に味噌汁の匂いが漂っていました。
もちろん私は何も作っていません。
嫌な予感がして玄関へ向かうと、扉の前に小さなお盆が置かれています。
その上には湯気の立つ味噌汁と焼き魚、白いご飯。
どれも、母がよく作ってくれた朝食と同じものでした。
※この物語はフィクションです。
※記事に使用している画像はイメージです。

◆さしすせそそぎ
怪談や都市伝説、モキュメンタリー作品が好きで日頃からさまざまなホラーコンテンツに触れています。不気味な余韻が残る物語や「読まなければよかった」と思いながらも続きが気になってしまうような怖い話をお届けできればと思っています。
特に、人の悪意や心理が生み出す恐怖を描いた作品や読み終えたあとにもう一度振り返りたくなるような意味が分かると怖い話、ひんやりとした読後感が印象に残る物語が好きです。
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