避難訓練
年に一度、会社が入っているビルで避難訓練があります。
昔は避難経路を確認するくらいだったそうですが、2年前にすぐ近くのビルで大きな火災があったんです。
そのときに何人か亡くなった方もいたそうで。
それ以来、消防署の方にも来てもらって実際に非常ベルを鳴らし、全員が外まで避難する本格的な訓練をするようになりました。
私、その日は自社の点呼係だったんです。
非常ベルが鳴ると、社員たちが非常階段を使って次々と外へ出てきます。
ビルにはいくつもの会社が入っているので、ビル前の駐車場がスーツ姿の人でいっぱいになりました。
自社の社員が集まったところで、名簿を見ながら人数を数えます。
「……あれ?」
一人、多い。
もう一度数えました。
やっぱり何度数えても、一人多い。
一人多い
外出している人や休みの人も確認してあります。
少ないなら誰かが逃げ遅れているということなので大変ですが、多いというは妙な話です。
隣にいた同僚にも数えてもらいました。
「……一人多いね?」
「だよね」
二人で社員の顔を見回して、一人ずつ名簿と照らし合わせながら点呼をとると、やっと数が合いました。
同じフロアの別の会社の人が間違えてこちらに並んだのかな?と、その時はそれで解散になりました。
写真
数日後、避難訓練の記録用に撮影された写真が総務に送られてきました。
何枚か確認しているうちに、一枚の写真で手が止まりました。
「この写真、何かおかしい」
自社の社員が集まっているところを後ろから撮った写真です。
その中に、見覚えのある男性がいました。
うちの社員ではありません。
でも、私はその人を知っていました。
会社の近くにある小さなお蕎麦屋さんで、何度も見かけたことがある人でした。
サラリーマンっぽいスーツ姿なのに、いつも両耳に結構な数のピアスを着けてて、どこの会社の人なんだろうって思ってたんです。
昼休みの時間が重なるようで、混んでいるときには相席になったこともあります。
そういえば、しばらく見ていないな。
写真を見ていたら気になって、昼休みにそのお蕎麦屋さんへ行くことにしました。
ピアスの男性
注文したあと、店のおばちゃんに聞いてみました。
「前によく来てた、ちょっと派手な男の人いましたよね。ピアスじゃらじゃらついてていつも一人で来てた」
特徴をいくつか話すと、すぐにわかったようでした。
「ああ、あの人ねえ……」
おばちゃんは少し声を落としました。
「火事で亡くなったのよ」
一瞬、何を言われたのかわかりませんでした。
2年前に燃えた、あのビル。
その人は、あのビルに入っていた会社で働いていたそうです。
火事の日もいつも通り昼を食べに来て、「ごちそうさま」と言って会社へ戻っていった。
それがおばちゃんが見た最後だったそうです。
会社へ戻ってから、もう一度あの写真を開きました。
間違いありません、あの人です。
大勢の社員に混じって、私たちと一緒に避難していました。
そして、よく見ると一つだけ妙なことに気づきました。
みんなが点呼をする私のほうを見ている中、その人だけが反対を向いていました。
視線の先にあるのは、2年前に火事があったビルでした。
もしかしたら、あの火事を忘れるな、と教えてくれていたのかもしれません。
※この物語はフィクションです。
※この記事に使用している画像はイメージです。

◆味醂
子どもの頃から怖い話が好きで、ホラー小説やネット怪談など、文章作品を中心に親しんできました。
映像作品の痛そうな表現や急に驚かせる演出は少し苦手ですが、想像がふくらむ怖さや、日常の違和感が少しずつ不穏さを増していくような話に惹かれます。
読んだあとふとした瞬間に思い出してしまうような“あとから効いてくる怖さ”を大切にしています。
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