後ろの一席
葬儀会社で働いています。
その日は、あるご家族の葬儀を担当していました。
それほど大きな式ではなく、参列者もほとんどが親族です。
ある時、仕事中に妙なことを頼まれたんです。
会場の準備をしていると喪主の方から、
「一番後ろの端、一席だけ空けておいてもらえますか?」
と言われました。
少し変わったお願いだなとは思いましたが、葬儀ではご家族ごとにいろいろな希望があります。
言われたとおり、一番後ろの端の席だけ空けておくことにしました。
空席
式が始まりました。
参列者はほぼ予定どおりで、席もだいたい埋まりました。
後ろの端の一席だけは空いたままです。
途中、遅れてきた方がそこへ座ろうとしたので、別の席へご案内しました。
そのとき、喪主の方と目が合いました。
小さく頭を下げられたので、やっぱりあの席には何か意味があるんだろうと思いました。
ただ、式の最中は忙しいので、それ以上気にしている暇もありません。
焼香の案内などをしているうちに、葬儀は滞りなく終わりました。
動いた椅子
参列者が全員退出してから、会場の片付けをしていると、ふと気づきました。
一番後ろ、端の席。
空けていた椅子だけが、少し後ろへずれていました。
途中で誰かがぶつかったのかもしれません。
でも、なんとなく気になって近づくと、座面にも少し跡がついています。
誰かが座って、立ち上がったあとのように見えました。
ちょうどそこへ喪主の方が忘れ物を取りに戻ってきました。
「あの……」
少し迷ったんですが、聞いてみました。
「こちらの席、どなたか座っていらっしゃいました?」
喪主の方は椅子を見ました。
「ああ、やっぱり来たんですね」
空けておく理由
てっきり、遅れて来る予定だった親戚か何かだと思いました。
「どなたのお席だったんですか?」
そう聞くと、喪主の方は首を振りました。
「わからないんです」
「え?」
「うちでは、葬式のときは一番後ろに一席空けておくことになってるんです」
お母さまから、そう教えられていたそうです。
そのお母さまも、自分の母親から教えられたとのことでした。
「誰のためなのかは、聞いてないんですか?」
「母も知らなかったみたいです。ただ……」
そこで少し言いにくそうにしてから、
「ちゃんと空けておけば、座って帰るからって」
と言いました。
それ以上は聞けませんでした。
いろいろなご葬儀を担当しましたが、あんなふうに誰のものかわからない席を用意したのは、あの一度だけです。
今でもときどき思い出すんです。
あの日、あの席に座っていたのは誰だったんでしょうね。
※この物語はフィクションです。
※この記事に使用している画像はイメージです。

◆味醂
子どもの頃から怖い話が好きで、ホラー小説やネット怪談など、文章作品を中心に親しんできました。
映像作品の痛そうな表現や急に驚かせる演出は少し苦手ですが、想像がふくらむ怖さや、日常の違和感が少しずつ不穏さを増していくような話に惹かれます。
読んだあとふとした瞬間に思い出してしまうような“あとから効いてくる怖さ”を大切にしています。
【SNS】
X:@a_mirin0223
※表示価格は記事執筆時点の価格です。現在の価格については各サイトでご確認ください。

