焦燥感
あの日、私は焦っていました。
うっかり道に迷い、初めて訪れる美容室の予約時間に遅れそうになっていたのです。
「ここ、だよね?」
スマートフォンの地図アプリとにらめっこをしながら、ようやくたどり着いた雑居ビル。
ひと気のないエントランスに入ると、案内表示板の5階に目的の美容室の名前を発見しました。
「あ、まずい」
安心したのも束の間、時計を見ると予約時間まであと3分。
私は大慌てで目の前のボタンを押し、やってきたエレベーターに飛び乗ったのです。
エレベーターを待つ女
静かに上昇していく箱の中。
私は扉のすぐ近くに立ち、頭上の階数表示を眺めます。
時間を確認するためにちらりとスマホに視線を落としたあと、また正面に顔を向けるとエレベーターにはめ込まれたガラス窓の上部に、赤いパンプスを履いた女性の足元が見えました。
「あ、次の階でだれかが乗ってくる」そう思った私は、一歩後ろに下がります。
“ピンポーン”
エレベーターが到着を知らせる音を鳴らし、スーッとドアが開きますが、そこに人の姿はありません。
「……あれ?」
私は“開ける”のボタンを押したままドアから顔を出し、辺りを見まわしました。
「おかしいな……」
首をかしげながら、“閉める”のボタンに手を置き換えます。
何事もなかったかのように再び上昇を始めたエレベーターの中で、私はスマホを覗きました。
パンプスを履いた足
その瞬間、大きな違和感を覚え、私はスマホの電源を入れることなく真っ暗な画面をじっと見つめます。
……映っていたのは自分の顔と、その後ろにぶら下がる女性の足。
「ヒッ……!!」
暗い画面にうつるソレは、細かい色彩こそ分かりませんが、間違いなく先ほど見たパンプスと同じデザインでした。
あまりの恐怖に無言のまま生唾を飲む私の背後で、その足はゆっくりと揺れ動いています。
その様は、首を吊った反動でぶらぶらと揺れる人を想像させるもので……。
“ピンポーン”
身じろぐことすらできなくなった私を突き動かしたのは、エレベーターの到着音。
転がるように外へ出て、私は放心状態のまま美容室へと向かいました。
……それ以降、特別なにかが起こったわけではないのですが、ふとしたときに私は頭上からの視線を感じています。
もちろん、後ろを振り返ることは決してありません。
振り返ればきっと、こちらを見下ろす女と目が合ってしまうと思うから。
※この物語はフィクションです。
※記事に使用している画像はイメージです。

◆底渦
中学生で都市伝説にドハマりし、2chホラーと共に青春を駆け抜けたネット廃人系オカルトライター。
怖い話の収集・考察が趣味です。
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