空き家のアトリエ
陶芸を趣味で続けてきたが、もっと本格的にやりたいと思っていた矢先、遠い親戚から声がかかった。
「うちの古い空き家、使うか?」
何十年も人が出入りしていないという広い一軒家。
掃除さえすればアトリエにぴったりだった。
陶芸仲間と共同で使う話が進み、鍵を受け取ることになった。
だが親戚は何度も釘を刺した。
「夜半までには必ず帰れ。絶対に寝泊まりはするな」
いい大人がここで夜を過ごしたところで、誰に迷惑をかけるわけでもない。
田舎すぎて隣家ははるか遠く、声など届きようもなかった。
それでも親戚は最後まで「約束だ」と繰り返した。
夜の空気
その日の午後、仲間と共に掃除に入る。
積もった埃を払い、障子を開け放すと外の冷たい空気が流れ込んだ。
けれど部屋は妙に湿っぽく、曇った窓は拭いてもすぐに白く曇った。
重苦しい気配を「長く人が住んでいないからだろう」と笑い飛ばす。
夕方になり仲間は帰ったが、せっかく来たのだからと掃除を続けた。
埃を拭き、畳を上げ、箒でかき出すうちに、気づけば真夜中を回っていた。
静かなはずの家の中で、ずっと“ぴちょん、ぴちょん”と水音が響く。
井戸の底から
最初は古い風呂場だろうと思ったがそうでないらしく、その後洗面台やトイレを見て回った。
だが蛇口もタンクも乾いたまま、どこにも水滴は落ちていない。
耳を澄ますと、音は土間の奥からしていた。
埃をかぶった棚をどかすと、そこにぽっかりと黒い穴があった。
それは、塞がれていない井戸。
気味悪く思いつつも蓋を閉め、漬物石を載せて掃除に戻った。
だが雑巾を絞る手を止めた瞬間──ガラリ。
土間を覗くと、蓋がまたずれている。何度閉めても同じことが繰り返された。
ついに覗き込んだとき、真っ暗な底から白く細い腕が伸びてきた。
腰を抜かした私の目の前まで這い出てきて、漆黒の頭が覗こうとした瞬間、咄嗟に蓋を掴み全力で押し戻す。
確かに中から力がかかり、何度も蓋を押し返された。
必死で押さえ込むうちに意識を失い、気がつけば朝になっていた。
恐る恐る蓋を外すと、内側に濡れた手形がくっきりと残り、水滴がしたたっている。
それ以来、夕方を過ぎて滞在したことはない。
井戸を塞ぐ勇気もない。──工事のとき、出てきてはいけないものまで出てしまう気がするからだ。
※この物語はフィクションです。
※記事に使用している画像はイメージです。

◆斎 透(さい とおる)
noteにて短編小説を執筆中の、犬と暮らすアラサー女子です。
やるせない夜にそっと寄り添うような文章をお届けしています。
幼い頃から、オカルト好きな母と叔母の影響で、不思議な話に夢中に。
「誰でも一つは、背中がひんやりする話を持っている」をモットーに、
ゾッとするけど、どこか温度のある物語を綴っています。
美容やキラキラした話題に疲れた夜、よければ一編、覗いてみてくださいね。
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