帰りの電車で
都心へ通勤している僕は、帰りの電車に長く揺られるのが日課だった。
東京駅を出るころには満員だが、郊外へ向かうにつれて乗客は減っていく。
読書をしたり、録画したドラマをスマホで観たり、時間の使い方も慣れたものだ。
その日もボックス席が並ぶ車両に乗り込み、主要駅を過ぎたあたりでようやく座れた。
斜め前には男性が一人。キャップを目深にかぶり、うつむいている。
疲れているのだろうと気にも留めず、本を開いた。
だがページをめくる手を止めさせたのは、妙な視線だった。顔を上げても、男性はうつむいたまま。
気のせいかと思い再び視線を落とすと、やはり刺すような気配がある。
今度は本を読むふりをして瞳だけで盗み見ると──男性は顔を上げ、じっとこちらを見ていた。
逃げ場のない視線
心臓が跳ねた。慌てて顔をそらしたが、意識はどうしてもその男性に引き寄せられる。
何分我慢しても感じる視線。
思い切って本を閉じ、勢いよく顔を上げて言った。
「あの──!」
声はそこで凍りついた。
目の前にあったのは、紛れもない自分の顔だった。
キャップも、ブルゾンも、スニーカーまでもが、自宅のクローゼットにしまってある服そのもの。
まるで鏡の中から抜け出したように、そっくりな姿が無表情で僕を見ていた。
理屈はわからない。ただ本能が「ここにいてはいけない」と叫んでいた。
次の停車駅で鞄を抱えて飛び出した。
まだ降りるはずの駅ではなかったが、そんなことはどうでもいい。
冷たい夜風の中を、ただ必死に走った。
家に潜む影
電車が怖くなってバスを乗り継ぎ、どうにか自宅に戻った。
玄関の鍵を内側から閉めたときには息が切れていた。
クローゼットを確認せずにはいられず、慌てて扉を開けると──キャップもブルゾンも、スニーカーも跡形もなく消えていた。全身から血の気が引く。
足がすくむ中、窓ガラスに映る自分の姿を見て息をのんだ。
そこに映っていたのは、たしかに僕の顔。
しかしキャップを深くかぶり、血走った瞳でこちらを睨みつける、“電車の中で出会ったもう一人の僕”だった。
声も出せず、ただ立ち尽くすしかなかった。
──今朝、確かに僕はスーツを着て出社したはずなのに。
あの日の謎は、何ひとつわからない。
ただひとつ確かなのは、もう二度と夜のボックス席には座れないということだ。
※この物語はフィクションです。
※記事に使用している画像はイメージです。

◆斎 透(さい とおる)
noteにて短編小説を執筆中の、犬と暮らすアラサー女子です。
やるせない夜にそっと寄り添うような文章をお届けしています。
幼い頃から、オカルト好きな母と叔母の影響で、不思議な話に夢中に。
「誰でも一つは、背中がひんやりする話を持っている」をモットーに、
ゾッとするけど、どこか温度のある物語を綴っています。
美容やキラキラした話題に疲れた夜、よければ一編、覗いてみてくださいね。
●note:https://note.com/sai_to_ru
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