向かいのベランダ
団地って、向かいの部屋のベランダが嫌でも目に入るんです。
洗濯物とか、布団とか、どこの家も似たような生活が見える。
だからこそ、少し変なものがあると妙に気になるんですよね。
僕が小学生の頃、向かいの棟の三階にいつも子ども服を干している部屋がありました。
小さいTシャツとか短パンとか、たまに赤白帽みたいなものまで揺れていて、あの部屋には子どもがいるんだろうなと思っていたんです。
でも、誰の家なのかずっとわからなくて。学区は一緒だし、同じ学校のはずなのに。
「お母さん、あそこって誰の家なの?」
一度聞いたことがあります。
母は洗濯物を干しながら、少し面倒そうに言いました。
「えー? あんたがわかんないなら、お母さんもわかんないよ」
でも、その日も向かいのベランダには、たしかに子どもの服が干してあったんです。
体操服
夏休み前だったと思います。
向かいのベランダに、見慣れた白い体操服が干してありました。
うちの学校の体操服でした。
やっぱり、うちの学校の子がいるんだよなあ。
ぼんやり眺めていると、風にめくれた胸元のゼッケンに、僕と同じ名字が見えました。
「えっ?」
慌ててベランダに出て、身を乗り出すみたいにしてもう一度見ました。
やっぱり、同じ学校の体操服で、名字も同じでした。
僕の苗字、べつに珍しくはないんですけど、そんなに被りもしないんですよ。
少なくとも学校には同じ苗字のやつはいないはずでした。
目が離せなくてじっと見ていると、カーテンの影から子どもの腕だけ伸びてくるのが見えます。
よく日焼けした、くっきりと半袖の跡がついている細い腕。
それは、テニス部で毎日ラケットを振っている僕の腕にそっくりの焼け方でした。
甘い匂い
部屋の中に引っ込んで、自分の体操服を確かめようと、タンスを開けます。
ちゃんとありました。
なくなってもいないし、ゼッケンも同じままでした。
でも、手に取った瞬間にわかりました。
「この匂い知らない……」
うちの洗剤の匂いじゃないんです。
もっと甘ったるい、知らない家の匂いがしました。
「今日、体操服洗った?」
「え?洗ってないよ。昨日しまったばっかりでしょ」
母に聞いても、不思議そうにされるだけ。
向かいのベランダを見ると、もう子どもの服は一枚もありませんでした。
高校を卒業して家を出るまで、向かいのベランダに洗濯物が干してある日は、できるだけ見ないようにしています。
でも後日、ばあちゃんちに行ったときに気づいたんです。
あの日、僕の体操服からしたあの甘い匂い。
あれ、線香の匂いでした。
※この物語はフィクションです。
※この記事に使用している画像はイメージです。

◆味醂
子どもの頃から怖い話が好きで、ホラー小説やネット怪談など、文章作品を中心に親しんできました。
映像作品の痛そうな表現や急に驚かせる演出は少し苦手ですが、想像がふくらむ怖さや、日常の違和感が少しずつ不穏さを増していくような話に惹かれます。
読んだあとふとした瞬間に思い出してしまうような“あとから効いてくる怖さ”を大切にしています。
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