待つ人
子どもがまだ小さいころ、病院の清掃スタッフのパートをしていました。
診察室には入れないので、外来の待合室や、病棟のトイレ、廊下の掃除がメインです。
ある日の夕方、いつものように待合室を掃除していると、端の椅子に年配の女性が座っていました。
薄い紫色のカーディガンを着て、小さなバッグを膝にのせています。
もう外来の受付は終わっていたので、少し気になって声をかけたんです。
すると、女性は穏やかな口調で答えました。
「迎えを待っているんです」
駐車場から外来受付までは少し距離があるので、行き来するのが大変なのかもしれません。
「そうでしたか。お気をつけてお帰りくださいね」
そう言って掃除を続けました。
別の場所へ移るときにふと目を向けると、彼女はもういませんでした。
「迎えに来てくれるんです」
それからも、その女性をときどき見かけました。
いつも同じ椅子に座って、入口のほうを眺めています。
何度か話すうちに、すっかり顔なじみになっていました。
ある日、彼女がいつもより嬉しそうにしていたんです。
「今日はね、主人が迎えに来てくれるんですよ」
「そうですか、それは嬉しいですね」
しばらくして、入口の自動ドアが開く音がしました。
掃除の手を止めて顔を上げると、ちょうど女性が立ち上がったところでした。
女性は私に軽く頭を下げて、入口のほうへ。
私も会釈して、また掃除を始めました。
その日を最後に、女性を見かけることはなくなりました。
記憶
それからしばらく経った頃だったでしょうか。
休憩中に親しくしていた事務スタッフと話していて、ふとあの女性のことを思い出したんです。
「そういえば、いつもお迎えを待っていたマダム、最近見かけなくなりましたね」
「え?誰だろう」
服装や年齢を説明すると、彼女は少し驚いた顔をしました。
「紫のカーディガンの、品の良いおばあちゃん?」
「そう。お名前も聞いたんだけど……吉村さんていう」
彼女はしばらく考えてから、教えてくれました。
以前、この病院には、あの女性によく似た方が毎日のように訪れていたそうです。
ご自身の診察ではなく、ご主人の付き添いやお見舞いのためで、気さくな性格からスタッフともよくお喋りをしていたとのこと。
「主人をどうぞよろしくお願いします」
毎回、帰り際にはそう言って頭を下げていたそうです。
ご主人が病院で亡くなったときも、「お世話になりました」とスタッフにお礼を伝えていたといいます。
四十九日
「たぶん、ご主人が亡くなってからは一人暮らしだったんじゃないかなあ……この間、夜間に救急搬送されてきたんだよね」
「えっ?」
「そのままICUに行っちゃって、一度は目を覚ましたらしいけど、一般病棟に移る前に亡くなっちゃったんだって」
……言葉が出ませんでした。
「それが2ヶ月前くらいだから……あれかもね、四十九日」
私は、あの日の女性の言葉を思い出しました。
「今日はね、主人が迎えに来てくれるんですよ」
今でも、病院の待合室で空いている椅子を見ると、あの女性のことを思い出します。
※この物語はフィクションです。
※この記事に使用している画像はイメージです。

◆味醂
子どもの頃から怖い話が好きで、ホラー小説やネット怪談など、文章作品を中心に親しんできました。
映像作品の痛そうな表現や急に驚かせる演出は少し苦手ですが、想像がふくらむ怖さや、日常の違和感が少しずつ不穏さを増していくような話に惹かれます。
読んだあとふとした瞬間に思い出してしまうような“あとから効いてくる怖さ”を大切にしています。
【SNS】
X:@a_mirin0223
※表示価格は記事執筆時点の価格です。現在の価格については各サイトでご確認ください。





