清掃員の仕事
清掃員の仕事を始めて、片手では数え切れないほどの年月が経ちました。
夜遅い時間の勤務もありますが、利用客が少ない分、落ち着いて作業できるので嫌いではありません。
そんななか、一度だけ奇妙な体験をしました。
ある日の深夜、駅構内の男性用トイレの清掃を終えたときのことです。
道具を片付け、いつものように廊下へ出ようとした私は、思わず出入口の前で足を止めました。
廊下が真っ暗だったのです。
「何だか様子がおかしい……」
その頃の私は、毎日のように駅のトイレを掃除していました。
廊下の照明が消えていても、トイレの明かりが漏れるため、出入口付近はある程度見えることを知っていたのです。
ところが、目の前に広がっているのは、文字通り真っ黒な闇でした。
トイレから出ようとしたとき……
気味が悪いですが、いつまでもここにいるわけにはいきません。
スマホを取り出し、ライトを点けて廊下へ踏み出そうとしました。
その瞬間。
「お兄さん、廊下に出るの数分だけ待ってくれませんか?」
背後から、若い男性の声が聞こえました。
驚いて振り返ると、奥にある個室の扉がひとつ閉まっています。
……つい先ほどすべての個室を清掃し、誰もいないことを確認したばかりなのに。
誰かが入ってきた気配もありませんでした。
呆然としている私に、声の主は穏やかな調子で言葉を続けます。
「本当は、引き止めてあげなくてもいいんですけれど。お兄さん、いつも真面目だし仕事も丁寧だから、もう会えなくなったら寂しいなって思ったんです」
何を言っているのか、まったく理解できませんでした。
声の主は誰なのか。
なぜ私の仕事ぶりを知っているのか。
何より、廊下に出たらどうなるというのでしょう。
それでも、不思議とひとつだけ確信していることがありました。
この声には従った方がいい。
私は返事もできないまま、入口の前に立ち尽くしました。
謎の声に従った結果
https://stock.adobe.com/jp/images/dark-and-long-underground-passage/414965140?prev_url=detail
そうして、どれくらい経ったでしょうか。
廊下の様子が少しずつ変わり始めました。
真っ黒だった空間に、見慣れた壁や床が浮かび上がってきたのです。
やがて廊下は、いつもの薄暗い景色に戻りました。
改めて考えると、先ほどまでの暗闇は明らかに異常でした。
「よかった」
背後から、またあの声がしました。
「それじゃあ、明日……は、お兄さんがお休みの曜日でしたね。明後日もお掃除よろしくお願いします」
慌てて振り返りました。
しかし、先ほどまで閉まっていた個室の扉は開いており、中には誰もいません。
「……ありがとう、ございました」
私は虚空に向けて一言お礼を述べ、そのままトイレを出ました。
廊下が暗くなったのも、謎の青年の声を聞いたのも、その一度きりです。
ただ、これまで真面目に働いてきてよかったなと、なんとなく思いました。
※この物語はフィクションです。
※記事に使用している画像はイメージです。

◆さしすせそそぎ
怪談や都市伝説、モキュメンタリー作品が好きで日頃からさまざまなホラーコンテンツに触れています。不気味な余韻が残る物語や「読まなければよかった」と思いながらも続きが気になってしまうような怖い話をお届けできればと思っています。
特に、人の悪意や心理が生み出す恐怖を描いた作品や読み終えたあとにもう一度振り返りたくなるような意味が分かると怖い話、ひんやりとした読後感が印象に残る物語が好きです。
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