被害妄想の概要
この世知辛い世の中、被害妄想に駆られる人は決して少なくありませんが、それ以前に被害妄想というのが具体的に何なのか、知らない人も多いのではないでしょうか?
まずはそこからご説明しますが、被害妄想とはつまり被害を受けていると妄想してしまう、実害がそこにないのに被害を受けていると確信してしまうという、障害の一種です。
別に、その出来事に対してその人は一切無関係なのに、それを自分に向けられたもの、そしてそれはネガティブなものと一方的に考え、被害者面をしてしまうのです。
これが、その妄想をするだけなら問題はありません(人格的にはあるのですが)が、場合によっては被害妄想が過ぎるあまり、他人へ危害を加えてしまうこともしばしばなようです。
となると、そのような人、そんな傾向のある人と一緒に居るのははっきり言って危険ですし、症状としては大小あるものの、その後は分からない事から警戒しておくに越したことはないのです。
と言うことで今回、被害妄想が激しい人の特徴を6つお伝えしますので、お近づきにならないための判別が出来るよう、知識として身に付けておくことをおすすめします。
なお、精神疾患の一部として被害妄想が現れるケースもありますので、その場合はかなりデリケートな問題となりますので、精神疾患としてのそれについてはここでは割愛させていただきます。
端的に物事を捉える
多くの被害妄想の激しい人というのは、物事を端的にしか捉えられない……。
つまり、ひとつの物事の端切れだけをかいつまんで、「こうだ」と決めつけるタイプだと言えるでしょう。
別の言い回しであれば、視野が狭いとか上辺だけしか理解出来ないなど、周囲からそのような評価を受けている人というのは、どうしても被害妄想を持ちやすいと考えられるのです。
理由は明確です。
物事を端的にしか捉えられないのですから、その言葉の真意やその人が話す際の状態なども見えない、さすればそれは文字通り「発せられた言葉しか分からない」ことになるのです。
発せられた言葉しか分からないのでは、例えば叱咤の中にある激励とか、遠回しな励ましや評価、それが何も分からずに悪いところだけかいつまんでしまいます。
その結果、その発せられた言葉だけが自分に対する評価、印象ということになり、それは言い回し的に悪いものとなりますので、結果被害妄想となってしまうのです。
たしかに、言葉自体は良くないものであるため、一概にその全てが被害妄想とは言えないのかもしれませんが、一般的には言葉の真意や裏を察するのが常識です。
その常識から外れてしまっているのなら、それはマイノリティということになり、どのみち世間からは被害妄想と解釈されてしまうのです。
一方的ではありますが、少なからず被害妄想が激しい人というのはこの特徴を持っていると考えられますので、あながち的外れとも言えない事実だけは受け止めましょう。
言葉や態度の裏を探そうとする
前項で、言葉の真意や裏を察する必要がある、それが無い者が被害妄想を抱えやすい人とあることから、この項目はそれに相反している、矛盾していると思われるかもしれません。
ですがこの場合は少し意味合いが違っていて、この場合の言葉や態度の裏を探そうとすると言うのは、文字通り「裏」というネガティブな意味合いを持つものなのです。
つまり、その言葉や態度に悪い意味が隠されている、自分にとってネガティブなものがあると勘ぐってしまう人を指しますので、明確に前項とは違う訳です。
こういう性質というのは、被害妄想が「その出来事に対してその人は一切無関係なのに、それを自分に向けられたもの、そしてそれはネガティブなものと一方的に考え、被害者面をしてしまう」にマッチするでしょう。
そもそもない裏を勘ぐろうとするのですから、自分のイメージだったり思い込みで補正が掛かってしまうことにより、少しずつそのような印象を抱くようになるのです。
もっとも、もしその言葉や態度にこの手のタイプの言う裏があったとしても、多くは正確に伝わっていない、曲解してその裏を感じ取っているケースも少なくありません。
その裏は当人にとってネガティブであることが基本ですので、その裏が本当にネガティブであるとすると、ますます過大に捉えたり場合によっては冒頭の危害を起こしてしまうかもしれません。
さらに、裏があると疑われている状態だとして、それを否定しても一切信用しないことが普通で、つまりこの手のタイプに話しかけると八方ふさがりとなるでしょう。
そういう意味も含めて、被害妄想が激しい人というのは関わらない方がいい、関わってはいけないと、結論付けることが出来ると言えるでしょう。
自分を信用出来ない
被害妄想が激しい人がどうしてそんな妄想に駆られるかと言うと、自分に自信がないから、自分を支える確固たる何かが欠けているから、そのような状態になってしまうのです。
もし自分に自信のある人であれば、多くはどんな悪い意見でも跳ね返す、また悪い意見があったとしても見返そうとする、場合によってはそういう意見も自分の糧にしてしまうからです。
自分にとってのマイナスの要素というのは、何もそれらが全て自分にとってマイナスになる訳ではなく、それにより成長して結果的にプラスになることなど多々です。
しかし自分を信用出来ない人は、自分にかかるマイナスは全てマイナス、だからあってはならない、だから過剰に反応してしまい、被害妄想に駆られてしまうのです。
つまり、人として致命的に脆いのです。
脆いから些細な事でも気になるし、その些細な事は全て自分に向けられているのではないのか、マイナスの要素は全て自分が対象と、一方的に思い込んでしまうのです。
かと言って、自分を鍛え上げようなどとは思わずに、ただただ毎日を被害妄想を元とした憎しみとか、悲しみなどを抱えているだけで、何をする訳でもない場合が多いでしょう。
もしそんな一方通行のネガティブさを払いのけたいのであれば、鯉のように口をパクパク開けてエサを欲しがるだけでなく、自らが探しに行くような努力をしなければならないのです。
下手をすると、そういう根本的な部分すら気付いていないことも多いようですので、そういう意味でも被害妄想が激しい人というのは、手遅れなところがあります。
自意識過剰
よくある被害妄想を抱える人の特徴で、まず大前提として普通の人であるのなら、周囲が自分の悪口を言っているとか、自分に対するネガティブキャンペーンをしているなんて、まず考えません。
こちらを見てひそひそと話している光景を見たところで、多くは「何かあったのかな?」とか、「あれ?今日の格好おかしかったかな?」くらいに止まるのではないでしょうか?
その程度で終わるはずの出来事を、やれ自分の悪口を言っている、やれ自分を攻撃しているなどと考えるのは、まさに今回のテーマである被害妄想でしかないのです。
はっきり言いますと、有名人でも芸能人でもあるまいし、誰も気にしていません。
別に一個人が何をどうしようが全然構いませんし、ましてやその一個人についていちいち悪口とか悪態などを付いて、一体言う側にどれだけの利益があるのでしょうか?
単なる損得勘定ですらその答えが出ないことから、その被害妄想はまさに「妄想しているだけ」と、よく被害妄想に駆られる人はそこに気付かなくてはなりません。
ただしこの自意識過剰、使いどころによっては非常にポジティブになれる、人生に対して有効に活用出来ると考えられますので、そこの被害妄想の部分だけを切り取ることをおすすめします。
自意識過剰というのは、人から見られているという思い込みを持つ人ですので、そういう人は人目を気にして身なりをきちんとしているとか、格好などに敏感になる傾向があるのです。
だからいつまでも若々しいこともあるようですし、そこに行き着く過程はちょっとアレではありますが、結果的にモテたりとか異性と関わりやすくなる可能性が上がるでしょう。
ただし、被害妄想の部分をきちんと切り抜き出来ないと、モテてもその最悪の性質がバレてしまうことで意味を成しませんので、そこの課題をクリアするのが先決です。
失敗を極度に嫌う
失敗を極度に嫌う人も、被害妄想を抱える傾向があるようです。
これがどういうことかと言うと、つまり自分は優秀な人間、失敗などしない人間、尊敬されるべき人間など、自分という位置を非常に高い場所に持って来ているのです。
だから実際のところはどうなのか、自分はどのように思われているのかを知りたく、周囲の意見や目、評価がとても気になるために、耳が大きくなってしまいます。
その過程で、成功したと思っていることでも失敗とされていないかなど、そういう不安が重なることで思考がネガティブとなり、被害妄想を抱えやすくなるのです。
その他、実際に失敗してしまうことにより、自分の築き上げたい自分自身のイメージが崩れることになり、それに伴い長らくその失敗を引きずってしまうでしょう。
そのため精神的な磨耗が著しく、その失敗をいつまでも周囲が笑っている、バカにしているなど、そんな事実はないのに精神的な磨耗によりまともな判断が出来なくなってくるのです。
その結果、被害妄想という状態に陥ってしまい、周囲は自分のことを悪く感じている、嫌っているなど、どんどんネガティブ化が進んでしまうことになるでしょう。
人は失敗するものです。
と言いますか、人の歴史上失敗をしたことのない人間なんて、言い切ってしまいますが0です。
何が大切かは、その失敗を如何に次回に生かせるかであり、最終的に成功してしまえばそれは成功なのです。
たしかに失敗したその瞬間は恥なのかもしれませんが、その失敗がなければ気付かなかったこともあるかもしれませんし、それのおかげで新しい何かが開けるようになるかもしれません。
だから失敗なんて恐れず、それどころか失敗出来る内は次から次へと失敗してしまえばいいのです。
自分をすぐに過小評価する
被害妄想というのは、「自信」もそうなのですが、自分に対して良い評価を与えている人からすると、まさに縁のない言葉、全く無関係の言葉となるでしょう。
何せ自分を適正に評価出来ていますので、周囲が自分の悪口を言っているなど、そういう意味不明の理論に行き着きませんし、正しく周囲も把握出来ていることでしょう。
その適正な評価が低いとしても、それは常識的な範囲であることが伺えますので、同じくそこまで周囲を気にすることはありませんし、それはそれで発憤の材料となると言えます。
しかし、自分を過小評価する人というのは、自分を適正に評価出来ていないことになりますので、異常に自分が「たいしたことのない人間」と考えています。
たいしたことのない人間なのですから、周囲からも悪く言われているであろうなど、勝手な理論で被害妄想に陥ってしまい、結果悪循環を催してしまう訳です。
被害妄想は被害妄想を呼び込み、どんどん物事をネガティブに捉えるようになって、やがてそれは爆発してしまい、冒頭の危害というキーワードがチラつくようになるでしょう。
自分を客観的に見ましょう。
あなたの得意分野は何ですか?
得意分野がないとしても、何か自分の良さというものは必ずあるはずです。
そういう、何か自分の長所を探すだけでも、随分とその評価は変わるでしょう。
自分をあえて肯定的に見てみて、そこから拾える良さをたくさん集めて、その過小評価を覆して、被害妄想に歯止めを掛けられるようにしましょう。
もし自分がそうなら……
ここまで、被害妄想の特徴を見てみて、周囲の人に当てはめるのであれば判別に使えるのですが、何か自分の心にくるようなことはありませんでしたか?
おそらくそれは、あなた自身が被害妄想が激しい、被害妄想に駆られやすいタイプで、おおよそ特徴が当てはまってしまったので、そのように感じてしまうのでしょう。
もしそうであれば、引き返すのなら今です。
特徴に当てはまらないように振る舞ったり、逆のことをするなり、何らかの対策をして被害妄想が悪化しないように、改善出来るように頑張ってみましょう。
冒頭で、被害妄想が激しい人は見切りを付けるとあるように、あなたもこのままでは見切りを付けられてしまいかねませんので、被害妄想なんて改善あるのみなのです。
それに至った過程がありますので容易には出来ないかもしれませんが、自分を変えようと努力をすれば、しただけの結果は付いてくる筈ですので、一歩一歩前進して行きましょう。
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